現在、執筆期間中、ということは、非読書週間ということでもある。
前にも書いたかもしれないが、自分が原稿を書いている時は小説が読めない。まあ、書き方に詰まった時、先達の作品を参考として読ませていただくことはあるが、その場合でも自分の書いているものとあまり遠いものは選ばない。参考にならないし、何よりその作品に引っぱられるのが怖いのだ。自分の書いている作品のトーンが変ってしまう気がするのだ。
これが、自分の未熟さゆえか、と思っていたらそうでもなく、桐野夏生さんなどは執筆期間中は新聞も読まないのだ、と友人が教えてくれた。さすがの集中力だと思う。でも、未熟な私はそこまでの集中は出来ず、かといって、読書をまったくしないのも寂しい。趣味(というか仕事でもあるわけだけど)が読書の人間なので、手元に読みかけの本がないのは落ち着かないのだ。
それで、最近、編み出したのは小説ではない本を読むこと。作品世界の気分に浸らなくてもいいタイプの本を読むことだ。それで本棚の奥から阿部謹也全集を引っ張り出して来て、1巻の「ハーメルンの笛吹き男」から読み始めた。学生時代、西洋中世史のゼミにいたから、この手の本を読むのは嫌いではなかったはずだが、卒業してからはとんとご無沙汰。なかなか読み進まない。1日に1章読めればいいところ。そのあたりで力尽きてすみやかに睡眠に入ることになる。
でも、そこがよい。ちょっとずつちょっとずつ錆びついた頭を動かして、古の西洋に想いを向ける。あまりにも遠い世界だから、今書いている小説にも、日常にも、まったく影響がない。そして、この、ちょっとずつ読むことがなかなかよい。「ハーメルンの笛吹き男」は一般書として書かれたものだが、やはり学者の文だから1行ずつ丁寧に読まないと、たちまちわからなくなる。集中が途切れると目が字面を追っているだけ、ということもよくある。だが、一生懸命読むと、ちょっとずつ進んでいく。まるで小説を書く作業そのものだ。
書くのが進むのと同時に読むのも進む。今のものを書き終わる頃には、この全集の1冊か2冊は読み進めるのではないだろうか。
実は老後の楽しみにと買っていた全集だったりするが、新しい活用法を見出したようで楽しい。当分は、執筆期間中に読む本には困らなさそうだ。
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