シーズン開幕?

フィギュアスケートの場合、シーズン開幕というのは秋のグランプリシリーズの開始を指すのではないでしょうか(国内の選手権に出る選手にとっては、それより前から始まりますが)。テレビではしきりに「シーズン開幕」と言っておりましたが、今の時期はオフだよね、と突っ込みながら夕べの「ドリーム・オン・アイス」を見ていました。

とはいうものの、近年のフィギュアブームで、こうしたショーがゴールデンタイムに見られるようになったのは、素晴らしいことだと思う。謹慎処分から復帰した織田信成選手の表現力の増した滑りとか、浅田真央選手のこれまでにないチャーミングな演技など、見所の多いショーでした。現役選手では一番好きなステファン・ランビエール選手のショーアップされたフラメンコが見れたのも嬉しかったし。

シーズンオフのショーということもあって、みなリラックスして新しい演技を試しているという感じでしたが、唯一、気を吐いていたのが高橋大輔選手。彼だけ来期のショートプログラムの演目を踊って見せた。それだけでも驚いたけど、彼の個性によくあったすばらしいプログラムで、それを見事に自分のものにしていた。彼の時だけ、すでにシーズン始まっているかと思うくらい、圧倒的な迫力でした。
やっぱりコーチの問題でが揉めたことが、彼の戦闘心に火を点けたのかなあ。もっとも、ライバルの織田選手だって、さすがに今シーズンは頑張るだろうし、2期ぶりにランビエールも調子よさそうだし。などと考えて楽しくなった。

今年の男子は面白くなりそう。
そんな期待を抱かせるのは十分な番組でした。

| | コメント (0)

東海道四谷怪談

新橋演舞場で5月大歌舞伎を観る。

通し狂言の「東海道四谷怪談」。例のお岩さんの出てくる話。実は「四谷怪談」についてはあまり知らず、せいぜい京極夏彦さんの「嗤う伊右衛門」(もちろん、これはよく知られた話とは違っているのですが)を読んだくらいで。ほとんど白紙に近い状態で舞台を観たのだが、すごく面白かった。
歌舞伎は役者で観るものだと思っていたけど、これはシナリオがよかった。歌舞伎は面白ければなんでもありで、同じ登場人物の話なのに、幕が変わると鎌倉時代から江戸時代に話が飛ぶくらいのことは平気でやったりする。それに、封建社会の道徳観とか美学は現代人にはぴんとこないものもある。簡単に人を殺したり、自害したりするし。まあ、そういうお約束だと理解したうえでいつもは舞台を楽しんでいるんですけど。

だから、今回観て、歌舞伎でも現在人に納得できる心理描写をしているものがあるんだな、と驚きました。善人でも憎まれるような面を持っていたり、悪人にしても哀れさがある。それぞれの登場人物が心理的に追い込まれていく過程をちゃんと描いている。
一番、感心したのはやはり有名な「髪梳き」の場面。お歯黒をして髪を梳く、そこを長く見せることで女が怨念に取り憑かれていく怖さを表現する。それでいて、とり憑いて殺す瞬間は一瞬で終わらせる。見事だ。普通の作者であれば、幽霊がとり憑いて殺されるシーンを延々描写し、さらに殺される側、それを見守る側の嘆きを延々語らせるだろうな、と思う(現代の作り手でも、それはやりがち)。そちらの方がわかりやすいから。だけど、それをやればやるほど「怖さ」というものから遠ざかる。
さらに言えば「怖さ」というものを単純な霊現象と取らない深さがあるから、こうした場面を作り上げたのだろう。

古典の知識がないので、誰が作者なのか知らなかったのですが、四世鶴屋南北なんですね。歴史の教科書で名前を見るような、時代を代表する書き手なわけで、よく出来ていると思うのが当たり前か。もちろん、それを見事なシーンにしているのは、役者と演出の力あってこそだけど。

残念ながら通しといいつつ、全幕では長すぎるので後半が大幅カット。ばたばたとエンディングになってしまいました。昔は2日がかりで上演した芝居だというから、これは仕方ないことですが、いつか全幕観たいものだと思いました(なかなか今の舞台に掛かるのは難しいと思うけどね)。

| | コメント (0)

設定変更

といっても、この日記の背景ですけど。
ずっと前からやろうと思っていてやり方がわからず、ようやく変更できました。
プロフィールも変更し、ついでに、メールも送れるようにしました。
もうちょっとしたら、タイトルも「辞めない理由」日記から、別のものに変える予定。
「小説三昧」とか「ものを書く日々」とか、そんな感じになると思います。

続けてここを見てくださっている人のために、一応事前告知まで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

玉三郎

1昨年からずっと月に1度は歌舞伎鑑賞に通っている。これも自由業の特権。会社員時代はとてもそんな気持ちのゆとりはなかったな。

そんなわけで、テレビで歌舞伎のことを扱っているとつい見入ってしまう。先日は玉三郎の仕事ぶりを追ったドキュメンタリーを見た。
玉三郎は舞台生活50年だという。そうだよね。私の学生時代にはすでにたいへんな人気だったもの。その頃の初々しさはないものの、相変わらず玉三郎は美しい。「奇跡の美貌」とテレビでは言っていたが、ほんとうにそうだ。舞台で見るとひときわあでやかで華がある。
だが、その玉三郎、実は子どもの頃から病弱で、「舞台に立てる身体ではない」と自分で思っていたそうだ。だから、舞台を続けるためにすべてを犠牲にしている。舞台が開く1時間半前(歌舞伎座だったらだいたい9時半頃)に到着し、準備に入る。それから舞台を努める。終わるのは9時過ぎだから、それから着替えて家に着くのはおそらく10時過ぎ。それからマッサージを受け、その日の疲れを取ってそのまま眠る。
舞台の間は飲み会には出ない。舞台初日の討ち入りの飲み会すら付き合うことはしないし、声を痛めることを恐れて電話すらろくにしない。舞台のある間はずっとそうだというから、これは人付き合いを放棄するのに等しい。趣味も娯楽もない。ただただ舞台のためだけの日常。

玉三郎は言う。
「いつ舞台に立てなくなるかわからない。だから先のことは考えない。ただ明日のことだけ。それをずっと続けてきたら50年経ってしまった」
舞台での演技の素晴らしさと、いつまでも衰えぬ清冽な美貌と、それらに対する評価が玉三郎の努力への褒賞だとしても、人としての幸せはそこにない。
恵まれた容姿でもなければ踊りや演技の天分でもない。すべてを芸に捧げきるその集中力こそ、才能というんだよな、と玉三郎の眼差しの静けさに打たれながら考えたことである。

| | コメント (2)

時代の音楽

先日、イーグルスのことを書いたが、実は今書いている小説で、主人公が昔聞いていた音楽の話をするシーンがある。話しているのは、私と同い年の男性と、もう少し下の女性という設定。昔、好きだった音楽の話というのは、結構、互いの距離を縮めるのに役に立つものだ。とくに、この年になると。

彼らが若い頃、何を聞いていたか、と言ったら、やっぱりイーグルスかな、と。
イーグルス、ジャクソン・ブラウン、J・D・サウザー、リンダ・ロンシュタットとか、その辺のウエストコーストサウンドの話をするのが無難でしょう。彼らの学生時代は、ポパイ文化の影響で、ウエストコースト的なものに対する憧れが強かったはずだから。
実はパンクなんかもあったんだけど、パンク好きとなると、ちょっとマニアックだし。
もっとも、あの当時、普通の学生は洋楽なんかはあまり聞かなかった気がする。
「サザンかオフコースを聞いていれば、たいていの女の子に話を合わせられる」
と言ってたナンパな慶応の学生がいたっけ。
あの頃は、今ほど音楽を簡単に自分の手元に置くことができなかった。レンタルレコードはまだ高く、音源を手に入れようとしたら、ラジオ番組表を見てエアチェックする(それでFM雑誌が売れていた)か、自分でレコード(CDも出てきたばかりの頃)を買うしかなかった時代。でも、だからこそ、今より音楽に対する想いいれも深かった気がする。洋楽など、主体的に聴こうと思わなければ、聴けなかった。だから、何を聴いているかで、その人の志向も判断できたのだ。

今は簡単に音源を手に入れられる。レンタル屋もあるし、携帯やパソコンからも簡単にダウンロードできる。息子を見ていると、ちょっと気に入った曲はどんどんipodだの携帯だのに蓄積させている。古い曲も結構、知っている。だけど、演奏しているミュージシャンについて尋ねると「知らない」と言うことも多い。ひとつひとつの曲への想い入れは、簡単に手に入る分、薄いのだろう。とりあえず、気に入ったから落としただけなのだから。
音楽が情報になってしまっている感じだ。音楽に限らず、本でも映画でも、最近はそうなのだが。多く蓄積することが大事で、その分、ひとつひとつは簡単に消費される。しかも、その傾向は、どんどん加速されている気がする。いいとか悪いとかではなく、そういうことで音楽の役割も変ってくるだろう。
しかし、そうなると、時代の音楽なんてものは、どんどん出にくくなるんじゃないだろうか。時代の音楽というのは、その時代の人たちが圧倒的に支持をした音楽とその歌い手、たとえその当時は嫌いだったとしても、否応無くその時代と結びついて存在を無視できない音楽や歌い手のことだ。戦後世代の人だったら美空ひばり。我々世代だったら、ユーミンがいる。しかし、今の若い人たちの時代の音楽って誰なんだろう。ひとりひとりの音楽の関心は昔より深いと思うし、聴いている量も多いけど、逆にみんなが聴く音楽というのは減っている。それはそれでいいのだろうけど、ちょっと寂しい気がするのは、古い世代の感傷なのだろうか。

| | コメント (0)

王者の孤独

先日のフィギュア世界選手権、予想どおり日本勢の大活躍でしたね。2位になった高橋選手、優勝した安藤選手、すごいなあ、と思いました。圧倒されました。昨シーズンまでのふたりを見ていたら、今シーズンの頑張りは嘘のよう。両選手とも、技術はあるのにメンタル面で弱く、ここ一番の大勝負で自滅していたのに。
この変貌はやはりトリノオリンピックに出たことなんでしょうね。オリンピックでぼろぼろだったあと、いろんなバッシングや心理的な葛藤を乗り越えようという二人の頑張りは物凄く、体型も顔つきも全然変わりましたから。やっぱりフィギュアにおいてはオリンピック出場というのは特別なものだし、そこにあえて若い選手を出場させたスケート連盟の意図というのはこういうことか、と思いました。本当にふたりの今大会の活躍は素晴らしかった。

もっとも、世界選手権を優勝してその後、というのが実はたいへんだと思う。目標とかモチベーションの置き方というのが、ただトップを目指していた時期よりずっと難しくなる。それで低迷する選手も多い。一時期の荒川選手がそうだったし、ランビエール選手の今年一年、というのはまさにそうだった。高橋選手は当面、世界選手権優勝を目標とすることができるけど、安藤選手はすでに優勝してしまったのだ。チャンピオンだからこそ抱えていかなければならない悩みを彼女は背負ってしまうことになった。

安藤選手はまだ19歳。だが、その年頃は女子フィギュアの選手は体力的な面では頂点の時期でもある。次の五輪まではまだ長い。体力的にはピークを過ぎ、若い選手がこれからどんどん出てくるであろうなか、彼女は何をモチベーションとしてあと3年の長い孤独な戦いを戦っていくのだろうか。彼女の本当の強さが試されていくのはむしろこれからかもしれない。超一流であるというのは本当にたいへんなことだ。安藤選手の今後の健闘を心から応援したい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

全日本フィギュア選手権

荒川静香選手の金メダル以降、フィギュアスケート人気が高まって、民放各社で放映してくれるのは嬉しいのだけど、どうしてああ勝敗にこだわるのだろう。なぜ4回転だ、トリプルアクセルだ、とごく一部の技にだけ注目がいくのだろう。
フィギュアは勝ち負けを便宜的につけることはするが、優勝した選手だけが素晴らしいのではない。トリプルアクセルや4回転のような大技だけが素晴らしいのではない。

もし、得点だけにこだわるのであれば、荒川選手のイナバウアーはオリンピックで披露されなかった。得点的にはたいしてプラスにならない技だから。実際、昨シーズンの途中までは、イナバウアーを入れないで荒川選手はプログラムを組んでいた。だけど、最終的に彼女はイナバウアーを入れることが自分らしい演技だと決断し、ぎりぎりで演目を変更した。それは滅多にやらないことだし、ものすごい意志と努力を必要とすることだ。しかも、勝つための、得点を上げるためのプログラム変更ではないのだ。
この試合で引退と決めていたから、点数が高いことよりも、自分らしい滑りにこだわった。やれることはすべてやって、だけど勝敗には囚われない。頭ではわかっていても、実際にその心境にまで達することのできる選手は皆無に近い。
だからこそ、試合直前の荒川選手は静謐とでもいうべき表情を浮かべていたのだろう。実力的にはおそらく荒川選手を上回っていたスルツカヤ選手やコーエン選手が、金メダルを意識して自滅したのとは対象的だった。
結果的には金メダルだったけれど、そのメダルの色が何でも、荒川選手はその瞬間、誰より素晴らしかった。

フィギュアには、そんなふうに、選手の精神力の素晴らしさや輝きを垣間見る瞬間がある。選手同士の競い合いの中に素晴らしいドラマが生まれることもある。
そういうことに比べれば、メダルの色がどう、なんてことは2の次にしかすぎない。

今回の全日本選手権で私が一番注目しているのは、2年ぶりに怪我から復帰した太田由季奈選手である。トリノの有力候補と言われながら、怪我のため脱落。一時は引退まで考えた彼女が、それでも好きなスケートを滑るために戻ってきた。まだ完全復調ではないし、おそらく入賞も難しいだろう。それでも、そんな逆境を乗り越えてきた選手だからこそ見せられる何かがあるに違いない。それを私は見届けたいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

原稿書き

最近、原稿書きに集中し始めた。
その気になれば、7,8時間は集中できるもんだな、と自分で感心する。家事をしなくてよければ、もっと長い時間パソコンに向かっていられるだろうと思う。
書くことが結局、楽しいんですね。
こうなってくるとスポーツクラブにも行かない。というか、書くこと以外は最低限のことしかやりたくなくなるんだね。人にも会わないし、引きこもり同然。それでOK。

ほんとは頭を使う分、身体を動かした方がいいだろうと思う。そうでないと、今回の執筆期間が終わったとき、身体にあちこちガタがくるんじゃないかと恐れている。がーっと集中して弛緩、というパターンは若い頃ならいざ知らず、この年になると辛い。適度な仕事、適度な運動というのが望ましいと思っているんだが。
小説を書いていると、1日中、頭がそちらに集中している。スポーツクラブだのなんだのに意識を向けていたら、テンションが下がる。だから最低限、家事に意識を向けるだけで精一杯なのだ。睡眠時間を削れればいいのだが、そうはいかないし。というか、書いている間はいつもより眠たいし。

というわけで、これからしばらくこんな生活。それはそれで悪くはないのだけど、体重が増えることだけが怖い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

韓流

北朝鮮の問題が取沙汰されている時になんですが、安倍首相の奥さんは韓流ファンだそうですね。韓国語で日常会話ができると聞いたとき、そうではないかと思ったんですが、やっぱり。

韓流については、おばさんファンがはしたないだの何だの言う人もいますが、個人的には素晴らしいことだと思う。たったひとりのアイドルが、ここまで韓国のイメージを変えたというのはすごいことだ。
韓流以前に我々日本人が韓国に抱いていた複雑な思い、歴史的な問題からくる罪悪感だの優越感だの鬱屈だのを、ぺ・ヨンジュンが微笑むだけで吹き飛ばしてしまった。今や韓国はドラマの国だし、グルメとエステの国でもある。サッカーも強い。観光に行ってみたいと思う人も多いだろう。韓流以前に、どれくらいの日本人が韓国に対してそんなプラスイメージを描けただろうか。

これは韓国にとっても、なにより日本にとっていいことだ。相手の国を知りたい、文化に興味を持っている、素敵だと思う。それを示すことは、友好関係を築くのに大きな力になる。安倍首相夫人も、きっと現地の人たちに歓迎されるだろう。
そうした意味では、韓流は、もっと評価されてもいい。
ペ・ヨンジュンも、彼を発見したミーハーおばさんたちも(きっと、そんなことちっとも意識してなかっただろうけど)天晴れだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

クラプトン来日

エリック・クラプトンが3年ぶりに来日しますね。
コンサート、行きたいなあ、行こうかなあ。迷っています。

クラプトンは、私の高校時代のアイドル。顔が好きだったの。曲も好きなものもいろいろありますが、まずは顔。下敷きにクラプトンの写真を挟んでいました。今にして思えば、女子高生なんだから、もうちょっと若々しいものを選べばよかったのに、と思うけど。理想の顔でしたね、当時は。いや、やっぱり今でも、かな?

前回、来日した時は、私もまだ会社員だったので、会社の人たちと見に行きました。「クラプトン部」というのを作っていて、会員資格は「クラプトンファン歴10年以上」。私以上に気合の入ったECファンの人が、コンサートで演奏する曲目を予想をしてCD-ROMに落としてくれました。クラプトンの出来もよかったし、いっしょに行ったメンバーもよかったので、とても印象に残るコンサートでした。

今回は彼らは行くのかな。
会社辞めると、そういう時、寂しいね。誰かいっしょに行ってくれる友達、探さなきゃ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

恋の似合う男

昨日、同世代の女性編集者と話しをしていて、同世代(40代中盤以上)の男で、「カッコイイ」「恋愛の似合う」男は誰だろう、という話になった。
タレントでもミュージシャンでもいい、ということで考えてみたが、なかなか日本人ではいない。「誠実な男」「優しい男」「仕事のできる男」というのは思いついても(もちろん、芸能人の場合、イメージでしかないのですが)、日本人の場合、恋愛オーラを出すというのは苦手なのだろう。特に、中年男性においては。

しかし、ただ一人、彼女と私とで「カッコイイ」ということで、一致した人物がいた。
その人物、誰かというと、皇太子(浩宮殿下)である。
断っておくが、私も彼女も右翼でもなければ、皇室好きでもない。しかし、例の、物議をかもした「雅子さまの人格否定発言」のときの皇太子はかっこよかった。
あの発言が批判や問題を引き起こすことは、皇太子にはわかっていたのだろう。しかし、それでも、言わずにはいられない。あのときの皇太子の目には、心を決めた人間の真摯さがあった。
「カッコイイ」
そのとき、素直に思った。
愛する者を守るためには、一歩も引かない。
それを態度で示すことのできる男はなかなかいない。皇太子、天晴れ、と思った。まあ、そうせざるを得ない不幸、というのは、皇太子には確かにあったわけなのだけど。

しかし、そんな特殊な例しか思いつかないくらい、日本人の中年男はシャイだったり、愛するということを表現するのが苦手だったりするわけだ。20代30代はともかく、40代以上はそう。中年女性が仮想ロマンスの対象にするのも、韓流かジャニーズしかない、というのはそんな背景があるのだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「サプリ」ドラマ

おかざき真里さんといえば、「サプリ」のドラマが先週から始まった。

おかざきさんは自らのHPで、「漫画とドラマは違うもの」だといい、PDにも「ドラマとして面白いように変えてもらっていい」とおっしゃったことを明らかにしている。
確かに漫画の表現とドラマの表現は異なるし、漫画の面白さをドラマで表現するのは難しい。しかし、亀梨和也、佐藤浩一と、メインのふたりがドラマオリジナルっていうのはどうなのかなあ。原作では結構重要な同僚のイシダ(アルバイトでなく)は登場しないのかな。原作の最大の魅力である働く女の舞台裏、実感みたいなものがあまり出てないな。などと第1話を見て思ってしまった。

もちろん、伊東美咲は美人だし、亀梨はかっこいいし、広告代理店の制作って、かっこいいな、って感じはする。それなりに楽しいドラマであるのは間違いないけど。原作を見て期待していたドラマとはちょっと違う。そう思いながらもまた見てしまうのでしょうけど。
第2回は、今日の9時からです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

芥川賞と直木賞

年に2回の出版業界きってのお祭り、芥川賞と直木賞の発表が昨日、ありましたね。今回に関しては、出版業界全体のお祭りだと思っていたら、実は文藝春秋社だけのお祭りだったのか、という辛口の意見もありましたが。

今回の賞の感想でダントツにおもしろかったのは、やはり「文学賞メッタ斬り」の大森望、豊崎由美コンビ。日経BPのサイトに事前の予想と、結果を聞いての感想が載っています。
http://www.nikkeibp.co.jp/

大森・豊崎コンビは三浦しをんさんの受賞作をボーイズラブ、と言い切ってましたな。まあ、三浦さん自身がボーイズラブをお好きなのだそうで、露骨に書くというよりはこっそりそういうセンスを作品に封じ込めたんでしょうけど(すみません、まだ読んでません)。
しかし、そもそも直木賞の選考委員がボーイズラブなるものを知ってるのだろうか?
わからなくて、ボーイズラブ的感覚が選考委員的には新しかったのか?
だとすると、いよいよ時代はボーイズラブ?

っていっても、ボーイズラブごころのまったくない私には、全然関係ないのだけど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

おかざき真里さんサイン会

表紙のイラストを描いてくださったおかざき真里さんのサイン会が、7月15日渋谷ブックファーストであるそうです。

これは「サプリ」4巻の発売を記念して行われるものだそうで、「おそらく最初で最後のサイン会」とおかざきさんがご自分のブログで書いていらっしゃいました。これは、私も絶対行こうと思ったのだけど、よく確認してみると7月15日は下の息子の学校の行事がある日。私は委員なので、絶対に参加しなければならないのでした。時間的に、こちらが終わってからではちょっと無理そう。ちぇ、花束持って駆けつけようと思ったのに。
でも、もし当日、時間のある方はぜひ、除いてみてください。3時からだそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

本屋さんのこと

書店回りの日々は実に楽しい。だって、新しい本屋との出会いがあるし、いつもは話せない本屋の店員さんたちと話が出来るのだ。しかも、内容は自分の書いた本のことだし。楽しくないわけがない。

そもそも私は本屋好きだと思う。実際、ほとんど毎日のようにどこかの本屋に入っている。とくに知らない本屋に出会うとふらふら引き寄せられるように入っていく。そこがたまたまものすごくマニアックな品揃えだと、すごく嬉しくなったりして。とくになにも買わなくてもいい。並べてある本を眺めたり、本屋という場所に浸っているだけで満足するのだ。

大きい本屋はいろいろ揃っているし、POPや飾りがあったりインテリアがよかったりして楽しい。カフェ併設のところはゆっくりできるし、トイレがあるのもいいですね。小さい本屋さんだって、その本屋なりの工夫や品揃えがされているのを見るとうれしくなる。本オンリーでなくてもお洒落なカードとか洋書とかのおまけにセレクトした本が置いてあるなんて、いいですね。小さいからこそ、あるジャンルや店主の趣味に特化したサロン的な場所であってほしいのは、部外者の勝手な願望ですかね。
だいたい、東京に住むメリットっていうのは、本屋が多い、それにつきるのではないだろうか。今住んでいるところだって、本屋事情がその東京の中でも上位3番目くらいに入る場所ということが気に入っている。もちろん、旅先でも時々、衝撃的な本屋に出合うこともあるし(京大近くの本屋さんは圧巻だった)、地方、侮りがたしと思うこともよくある。でも、量と質と種類で言ったら、東京の本屋事情は世界一だと思っている。

最近ではネットでも本が買えるようになって便利にはなった。この本が欲しいとはっきりわかっている場合はそれもいい。だけど、ネットでは本の大きさとか重さとか匂い、紙質、色合い、持ったときの感触、そんなものがわからない。本は目と鼻と手で楽しむものなのに。それに、たとえば「辞めない理由」はページ数は350ページ以上ある。だから厚みもあるのだが、手に持った感じは意外なほど軽い。カバーをはずすと表紙と裏は真っ白。背にタイトルは入っているが、一見、何の本かわからないようになっている。つまり持ち歩いて読みやすいようにという配慮がなされているのだ。カバーは目を惹く絵柄だが、なかには何の本か知られたくない人もいる。そういう人はカバーをはずして持てばいい。もちろん持って歩くには軽ければ軽い方がいい。そういう編集者やデザイナーの意図も、本屋で実際に手に取って確かめなければわからないだろう。
それに、本屋にはわくわくするような出会いがある。なんだかわからないけど妙に惹き付けられてしまうとか、最初欲しいと思っていた本より、実はその本の隣にあった本の方が自分の目的にあっていたので、そちらにしたとか。衝動買いして期待はずれだったとしても、本1冊のなかにはなにかしら得るものがある。外食代や洋服代に比べれば、金額的には安いものだ。

一方で、私は古本屋にはあまり興味がない。質感や匂いが変わってしまうし、埃っぽいのもちょっと苦手。なにより、今まで知らなかった新しいものとの出会いがないから。勝手な理屈ですみません。

最近、小さな本屋がばたばた潰れている。うちの近所もここ10年で3件閉店した。大きな本屋だって、私の大好きな青山ブックセンター(広尾店の近所に住んでいたことがあり、よく利用していた)が潰れるのだ。あんな素敵な品揃えなのに。今は本屋受難の時代かもしれない。頑張れ、本屋さん。そして、私達に素敵な本との出会いを演出してください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

文学賞メッタ斬り リターンズ

昨日、青山ブックセンター本店で行われた「文学賞メッタ斬り リターンズ」のイベントに行った。
今回はメッタ斬りコンビの大森望さん豊崎由美さんに、作家の島田雅彦さんを加えてのトークイベントである。6月にパルコ出版から刊行予定の「文学賞メッタ斬り リターンズ」の中にトークイベントの内容が収録されるのだそうだ。
島田さんが「イケメン作家」「文壇の貴公子」と呼ばれるていることぐらいは、純文学とは遠いところにいる私でも知っていた。とはいうものの、もう44歳だし、話半分だろ、と思っていたのだけど、本人が登場した瞬間、「やっぱりカッコイイ」。思わず姿勢を正してしまいました。写真やテレビより実物はもっといい。

だが、その美形の口から出るコメントの辛らつなこと。雨後の筍のように近年増えている文学賞の受賞作について感想を求められると、「どれも交換可能だ」「この程度であれば漫画に負けてるんじゃない?」。さらに文学賞のあり方や、文壇と呼ばれるところのおかしな力関係についても毒吐きまくり。毒舌で知られる大森・豊崎のメッタ斬りコンビの方が優しく見えました。聞いてるこちらは興味津々、ブラックなジョークに抱腹絶倒だったが、これはどこまで「リターンズ」に掲載されるのだろう。他人事ながら心配になるほどだ。

もちろん、こうした発言は文学に対する高い理想と愛情の裏返しだろう。出版社の話題作りや販促のための文学賞が乱立することに対する憤りが根本にある。「民主主義で作品の良し悪しは決められない」「(こうしたやり方で)作品が売れても将来的に何も残らない」、高い自負と覚悟がなければ、こうした発言は公ではできないはずだ。そういう自分自身はどうなのだ、という問いかけが作家である島田さんには必ず返ってくるものだから。

終わった後、幸いにも島田さんと直接お話する機会を得た。どういう流れだか、小説で生計を立てるというようなことに話が及ぶと、
「そういう考えは卑しい」
と、島田さんは言い切った。言葉でしかできないことを追求していくのが文学、という島田さんの姿勢からすれば、小説が売れるとか売れないというのは違う次元だということなのだろう。それでこそ純文学。その姿勢を貫くのはなかなかできることではない。

しかし、島田さんがかっこいいはずですよ。文学が生き方なんだもん。40すぎてまだモラトリアムな我が身と比べて、目が眩むようでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

江原啓之を見る

昨日、「江原啓之 スピリチュアル・ヴォイス2006 苦難の乗り越え方」という舞台を観にいった。この舞台がパルコは主催(「苦難の乗り越え方」という本が近日、パルコ出版より刊行)ということで、私が見たがっていることを知った宮川さんが席を取ってくださったのだ。

江原啓之については知っている人も多いだろうけど、いまをときめく霊能者。「オーラの泉」というレギュラーのテレビ番組も持っている。昨日の舞台は、そうした江原啓之の思想を、語りと公開カウンセリングと彼自身の歌で表現するというもの。
第1部は語りと歌。舞台や衣装が凝っているのと、江原の一人語りがうまいのには感心したが、お目当ては第2部の公開パフォーマンス。
これがどのような手順で行われるかというと、当日の舞台前に観客がロビーに設置された箱に自分の相談ごとを記して入れておく。そのなかから、舞台上で江原が無作為に取り出してアドリブでコメントするというもの。ちなみに、私も書いて入れておいた。いってみれば、「なまオーラの泉」だ。受けられるものなら受けてみたい。

さて、一番最初に選ばれたのは、1年前に幼い娘を亡くしたというご夫妻。娘と話したいと言ういきなりヘビーな展開。それから、なぜか選ばれた6組のうち4組は死んだ身内についての相談だった。「オーラの泉」ではなく「天国からの手紙」だったんですね。

しかし、子どもに先立たれたという話は辛い。自分も子どもがいるので、話を聞いているだけで泣けてくる。そういう辛い思いをした相談者に江原はとても適切な言葉を投げていく。おそらく、相談者がいちばん欲しかっただろう言葉、明日を生きる励みになる言葉を。

そうした江原と相談者のやりとりの真剣さには圧倒された。まあ、考えてみたらわざわざ高い入場料払ってこういうイベントに来るのは、なにか大きなこころの痛みを抱えている人が多いのでしょう。とくに男の人でこういうところに来るのは、藁にもすがるような気持ちなのかもしれない。
残念ながら私のものは読まれなかったけど「私よりもっと深刻な人を優先してください」、途中からはそんな気持ちでしたよ。

正直、霊能力と言うものは、私はよくわからない。人智を超えたもの、自分が知覚できる以上のものが世界にはあるだろうと思う。だけど、オーラを見たことないし、幽霊にもあったことがない。だから江原が霊と話したことを伝えると言われても、本当かどうかはわからない。霊と話しはしていたとしても、江原が伝えることは嘘かもしれない。あるいは相談者が全部サクラで台本があるのかもしれない(しかし、そうだとしたら、江原にしろ相談者にしろものすごくうまい役者だし、ものすごくよくできたシナリオだと思う)。

だけど、江原の言葉や相談者の態度を見て、観客の我々も慰められたし、こころを動かされた。自分自身の問題に置き換えて、それを打開する励みとなるような言葉を得た人も多いだろう。その事実の方がどこまで本当のことか、ということより大事なのじゃないか、と思う。
ある意味、それは優れたお芝居を見たときと同種の感動だ。また、そうでなければこういうことをわざわざ舞台でやったり、テレビで公開する意味があるのだろうか。

そうした意味で、江原啓之は優れたパフォーマーだと思うし、得がたいタレント(才能の意味)だと思う。そして、これだけ多くの人に支持されているということは、彼のような存在が今の社会には必要とされているからなのだろうと思う。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

「ナルニア国物語」を観る

息子の中学校で卒業式があったので、下級生も昼前に帰宅。それで、親子で「ナルニア国物語」を観にいった。

悪くはない。疎開した子供たちの寂しさが兄弟間の葛藤を生むという描き方はうまいと思った。息子は結構、面白かったと言っていたのだが、私の方はやっぱり(!)満足できなかった。私はなにしろ年季の入った「ナルニア」ファン。40年近くたった今でも原作本を捨てずに持っているくらい。ナルニアが映画化されるというのは、私的には大事件なんですよ。

そもそも好きな小説の映画って、観てよかった試しがない。小説よりよかったと思ったのは「指輪物語」と「羊たちの沈黙」くらい。どんなに出来がよくても、ちょっとしたことで気に入らなかったりするから。評判のよかったTVアニメの「赤毛のアン」(高畑勲監督)だって、マリラの名前がクスバート(村岡花子訳版ですね)でなく、カスバートだから嫌、という理由で見なかったくらい。今回も冒頭のシーンが違う(脚本の意図はわかるけど)ルーシィーの髪型が黒髪おさげじゃない(役者は可愛いけど)ってだけでも気に入らないのよ。これは「あたしのナルニアじゃない」ってね。ええ、ええ、私はナルおたですよ。

しかし、一番残念だったのはしゃべるライオンのアスランの説得力が希薄だったこと。CGで頑張ってよく動かしているんだけど、よくできすぎていて普通のライオンにしか見えないのだ。4人のこどもたちがひと目見ただけで圧倒され、かつ慕わしい気持ちを持つようになるような何か、がアスランにはないとねえ。そこが「ナルニア」の肝だと思ってたんだけど。

それにどうしても「指輪物語」と比べてしまうからねえ。あの画面の密度、イメージの美しさ、戦闘シーンの迫力を観てしまったあとでは、たいていのファンタジーは見劣りするもの。予算もあるだろうし、仕方ないんだけど。

まあ、「あたしのナルニア」と違ってしまうことは最初からわかっているのに、観にいってしまうのはファンの性だよね。やめときゃいいのに。だけど、「ナルニアは当たらなかった。原作の人気がないからだ」と評判になるのもくやしいし。私ひとり観にいったところで、観客動員数がそんなに変わるわけでもないんだけどね。

ところで、話は変わりますが、私の小説の発売日は5月10日頃になるようです。制作スケジュール的には4月でも十分、刊行可能なのですが、事前告知の時間をみて当初の予定より伸ばすことになりました。とりあえず、宣伝告知。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

満月

今日は満月。晴れているので、きれいな月が見えてる。

満月には、やることがひとつ。持っているクリスタルを月光浴させるのだ。
3年前から突然、クリスタルにはまって買い集め、今は握りこぶし大のものから、小指の爪くらいのものまで、大小あわせて50くらい持っている。種類もさまざま。色もいろいろ。見ているだけで楽しい。
いちばんのお気に入りは薄いピンクのクンツァイトとエメラルドグリーンのアクアマリン。その繊細な形と色合いはうっとりするほど。きれいな虹もみえるんです。それから、黄色いこぶし大のシトリンとか、月光の石と呼ばれるセレナイトとか、好きな石のことを書き出すときりがない。もう、完全に石オタクですな。

だけど、クリスタルも置いておくと汚れたり、くすんだりしてくる。ほこりのせいだけでなく、悪いエネルギーを吸収したり、よい波動を出したりして石が疲れる、ということらしい。だから、時々は洗ったり、塩で浄化したりするといいらしいのだが、50個もあるとなかなか面倒。
それで唯一、私が石のためにやっているのが、月光浴。月の光にも浄化作用があるんですと。真偽のほどはわからないのだが、確かに一晩外に置くと石の輝きが増しているように思う。なんとなく、石が喜んでいるような気がしてね。石バカ?

そんなわけで、今日もせっせと50個の石をベランダに並べます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フラメンコ

体調がよくなったので、2週間ぶりにスポーツクラブに行った。

今日はフラメンコの講座に出席した。
はじめたばかりだから、全然、さまになっていない。手首をくるっと回すことも満足にできない。足はどたどた。振りが覚えられず、音楽にはついていけず。自分の不様さを思い知らされる時間だ。

先生は立ち姿ひとつとってもカッコイイし、ちょっとした仕草が色っぽい。もちろん、踊るとさらに素敵。
いつか自分も先生みたいにカッコよく踊れるといいな。
まあ、週に1度じゃ無理だろうけど。
せめて止まった時のポーズだけでも、カッコよく決められるようになるといいな。目線とか、顎の引き方とか、脚の使い方とか。

そんなことを夢見ているけど、現実はまだまだ。当分、フラメンコというよりは盆踊りみたいな姿を晒しているでしょう。

でも、楽しいからいいや。

| | コメント (0) | トラックバック (0)