ドキュメンタリーは嘘をつく
ある方に、次回作の参考になるかも、と奨められて読んだ本。
面白かった。
映像において、公正中立の視点などない。
すべてのドキュメンタリーはフィクションである。
著者自身、映像作家であるからこそ言える言葉。でも、そうなんじゃないか、と私も大いに納得しました。
映像と同様、書くという行為においても、実は小説よりもエッセイとかノンフィクションの方が、著者がどういう人間なのか、わかるのではないか、と思っている。実のところ、ノンフィクションといっても、現実をすべて写し取れるわけではない。描く対象に何を選ぶか、それをどう切り取るか。そこに、その著者の価値観なり、人柄なりが現れる。
普通に考えれば、すべてが作家の創造物であるところの小説の方が作家の人となりが伝わりそうなのだが、そうではない、と実作者である私は思う。小説の場合、登場人物が複数である分、複眼の見方を入れなければならないし、物語の必要上、作家の思想と異なることでも入れることがある。どこまでが作家の本音かわからない。だからこそ、私自身も小説を書いているのだ、と思う。
まあ、小説の場合、最初から嘘の話と読者も納得づくで読むわけだけど、ノンフィクションだとそうはいかない。ことに映像であれば、観る側もすべてが真実だと信じたがる。だが、真実など、実に抽象的なものだ。黒澤明の「羅生門」のようなものだ、と私は思っているのだけど。
最近はとみに、絶対的な善とか悪とか、世間様が求めすぎているような気がします。どんなものごとも、絶対などということはない。そんなにわかりやすかったら、世界はもっと単純だし、おそらく小説は役割を失うだろう。
善悪とか簡単に割り切れないもの、世間的な価値観から零れ落ちてしまうもの、それを描くのが小説というものではないか、と思ったりする今日この頃。


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