制作のタイムラグ

小説というのは、時間がかかる。
アイデアを練って、取材をして、書き出すまでに半年かそこいらはかかるし、書き始めてひととおり完成させるのに3ヶ月から半年。さらに編集者のチェックを経て、書き直しを完了させるのに、2,3ヶ月。ヘタすると半年以上。さらに、そこから本を作る物理的作業(校正とか印刷とか製本とか)に3ヶ月から半年。
そんなわけで、その作品を書きたいと思いついてから、実際に形になるまでに1年以上かかるのが普通。なかには構想をまとめるだけで5年とか10年かかる場合もあるし(私にも何年も構想していて、実際に書き出すのにこれから数年はかかると思われるものがある)、何年も原稿を手元に置いて、完成させるのに時間をかける人もいる。

だが、ほんとのところ、アイデアを思いついた時が一番、書きたい時だったりするし、それですぐ作品には入れれば、集中もしやすい。さらに、書いたらすぐに刊行したいと思う。いつまでも出さずにぐずぐずしていると、トレンドが変わったり、同様の作品をほかの人が書いたり、あるいは実際の事件などと被って、作品を出しにくくなることもあるわけだし。

だから、思いついたらすぐ書いて、すぐ発表できる方が望ましくはある。ネットで小説を書いている人をうらやましく思う点は、書き終わったあと、発表までのタイムラグが限りなく少ないこと。書き終わった小説がなかなか刊行されない時、出版ってアナログな商売だな、とつくづく思います。もっとも、私自身は、紙で作る「本」というアナログな形態を限りなく愛しているので、仕方ないと思うんだけどね。

とは言いつつ、資料読みばかりしていると「書きたい」という思いがふつふつと湧き上がってきますね。やっぱり書くのは好きみたいだ。小説を書くことに集中している時が一番、楽しい。しかし、今現在、頭は次回作の方へシフトしている(というかすべきな)ので、全然、関係ない作品は書くことができない。仕方ないので、すでに書き終わった3作目の細かい描写をいじったりしているのですけど。
あー、早く次回作を書き始めたい。だけど、そのためにはその準備、資料を読んだり、取材をさっさと進めなければいけないわけで。わかっているなら、なまけてないで、やれよ>自分。

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原稿紛失

といっても、私の原稿のことではありません。
文字原稿は、いまやデータでやりとりしますし、手書き原稿でもコピーで受け渡ししたりするので、小説原稿の紛失が問題になることはまずありません。
怖いのは、イラスト原稿の場合。
「黄金のガッシュ!!」の雷句誠さんが、原稿紛失で小学館を訴えたそうですね。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/entertainment/comics_and_animation/?1212740375 m,

雷句さんの憤りはわかるし、小学館をかばうつもりもないが、編集経験者としたら、イタタタタという感じである。
実は、編集部での原稿紛失というのは、決して珍しいことではない。というか、私自身、編集者をやっていた時、一番怖かったのは、この原稿紛失だった。知られていないことだが、イラスト原稿の紛失というのは案外、あることだ。それが表面に出ないのは、たいていは訴えたりせず、話し合いだけで決着がつくから。編集部が賠償金を支払う場合もあるけど、力のない絵描きさんであれば、泣き寝入りをしてしまうことも多い。雷句さんは小学館と揉めて、決裂したそうだから訴訟という手に訴えたのでしょうけど。

原稿を紛失する原因は、編集部や編集者の管理の杜撰さ、が原因のことも確かにある。しかし、それ以外にも、印刷所で紛失したり、ビデオやゲームのパッケージ用に貸し出してそのまま帰ってこなかったり、ということも少なくない。というか、漫画原稿の場合、編集部でなくなるより、そうしたケースの方が圧倒的に多い。
あるいは、自分の前の担当編集者の時代に失くされて、現在の担当者にはわからない、ということだってある。あながち、編集者の責任とばかりいえないこともあるのだ。

正直に言えば、私自身、紛失した原稿もある。鉛筆の線画を返却しそこねて(相手は線画なので忘れている)そのまま持っているものもある。
それは決して楽しいことではなく、思い出すと、心がずきずきする。私の場合、ムックや画集の仕事が多く、イラストレーターさんと接することが多かったので、彼らがいかに懸命に絵に向かっているかをずっと間近で見てきた。お金を積まれたところで、絵描きさんにとっては無くなった原稿のかわりにはならないと思っているだろうことも、容易に想像がつく(雷句さんにしても、お金が目当てではなく、そういう手段に訴えることで相手が真剣に探してくれることを期待しているのではないだろうか)。

だから、こういうニュースを見ると、心が痛みます。ちゃんと原稿が見つかるといいな、と、作家のためにも、編集者のためにも思います。

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あきらめが悪い

あいかわらず編集者のチェック待ち。落ち着かないので、原稿を読み返す。すると気になるところが出てきて、修正をする。原稿を読む。修正する。すでに渡した原稿なのに、我ながらあきらめが悪い。
毎日、ちょこちょこそんなことをやっているので、編集者に渡した原稿とはいろいろ変わっている。しかも、パソコンで上書きしているので、どこが変わったのか、前の原稿とつけ合わせしなければわからない。大幅な直しではないので、いいといえばいいのだけど、細かいところまで入れれば、20箇所以上いじったのじゃないだろうか。

そういうことをやると混乱するので、編集者から返事が来るまで、原稿にはさわらない、あるいは修正するならプリントアウトしたものに赤を入れればいいんだけどね。わかっちゃいるんだけど、やってしまう。気づいた時に修正しないと、忘れてしまうし、何かやってないと落ち着かないから。なんかぐずぐずな私。

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東野圭吾さん

先日、担当編集者と打ち合わせをした。
そこを直せば確かによくなる、というポイントを編集者からいくつか指摘された。こうしよう、というイメージも浮かんでいるので、その通りに直すことができれば、現状より1割方はよくなるだろう。全面的に原稿に手を入れなければならないので、作業がたいへんだけど、とにかく頑張ろう。

打ち合わせをした後、小説の取材を兼ねて編集者にあるお店に連れて行ってもらった。そこで、偶然、東野圭吾さんにお目にかかる。写真でしか拝見したことがないのですが、お店に入ってきた途端、わかりました。すごいオーラがあった。
今までにも売れている作家さんを何度も見たことがあるけど、あんなにオーラのある方は初めてでした。プライベートの席だったのですけどね。さすが、今一番のっている作家さんだなあと思いました。
あんまりまぶしいので、私の方は東野さんの邪魔をしないようにそそくさとお店を出てしまいました。私がいるのも場違いな感じがしたので。だけど、ペンネームも似ていることだし、そのうち、ちゃんとご挨拶できるようになりたいものだ、と思いました。

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プロットを捨てる

やっぱり思っていたストーリーラインから外れていった。遡って男の登場するエピソードは全面書き直し(って、8割がた直しなんですけど)。この先もどうなるかわからない。
キャラクターをいじるって、そういうことだ。年齢が10歳若返って別人になってしまえば、行動パターンも変る。ヒロインとの掛け合いもまったく違ってくる。
だけど、楽しい。書きながら、どうなるのか、自分がすごく楽しんでいる。
どうも最初の男よりも、こっちの方が好きみたいである>自分。
すごく動かしやすいし。最初の主人公の方がいいやつなんだけどね。今のはいい奴かそうでないか、まだ私にもわからない。まあ、いい奴になるとは思うけど。
ヒロインとの相性も、こっちの方が良さそうである。セリフがすらすら出てくるし。作品的にも、前より軽くなったんじゃないだろうか。
まあ、自分が楽しいからといって、読む人がどうかはわかりませんが、楽しんでもらえる作品になるといいな、と思いながら書いています。

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本屋さんもの2

作家の中には書店に勤めたり、アルバイトを経験したことがある人もいる。さらに、編集者でも、ちゃんと最初から正社員として採用された人であれば、書店研修を受けている場合が多い。しかし、私はそうでなかったので、一度も書店で働いたことがない。
よくまあ、それで書店の話を書く気になったものだ、と思う。

実は、書店の話を書こうと思いついた時(昨年の5月ごろ)には、「配達あかずきん」も「暴れん坊本屋さん」すら知らなかった。友達にプロットの相談をした時に教えてもらって初めて知った。さらに、書店員さんのやっているブログや「書店風雲禄」のことなども教えてもらい、自分でも調べていろいろ書店関係の本を買い込んだりした。そうしたものには、現場にいた人だからこそ書けることがいろいろ詰まっていた。とても面白かったし、いろいろ考えさせられた。

しかし、自分に書店で働いた経験が無いからダメだ、とは一度も思わなかった。前作は、編集の現場を知っているから書けた部分も大きいと思うが、部外者だからこそ書ける物語だってある、と思う。今度の話はそういうものになるだろう、と思ったのだ。

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本屋さんもの

第2作は、タイトルからわかるように、本屋ものである。
前作を書き終わったとき、次は女性ふたりの対決ものを書きたいと思った。実は「辞めない理由」の主人公の和美は戦わない女だった。まあ、年齢的なこともあるけど、嫌な相手にも仕返しするわけでもなく、ただ我慢する女である。
だから、次はもうちょっとアクティブな性格の女を描こうと思っていた。たとえば、一条ゆかりさんの「プライド」とか「デザイナー」みたいに、言いたいことをずばずば言ってしまう女が描きたかった。
さらに、できれば女性が多い職場の物語にしようと思っていた。女性の集団は独特だ。そのおかしさみたいなものも書いてみようと思ったのだ。
だが、最初は化粧品会社の話にしようと思った。女性の働きやすい職場のナンバー1が資生堂だと何かの記事で読んだからだ。しかし、化粧品会社については接点がほとんどなく、どういう切り口で書こうか、と迷っていた。

そんな時に、前作のために書店周りをすることになった。このブログでも書いたが、50軒ほどの本屋さんを周らせていただいたのである。そこで、いろんな本屋さんに会った。昨今の厳しい本屋状況にもめげず、生き生き働いている人をたくさん見た。営業の人が選別してくださったこともあるだろうが、優秀な人にもたくさん会った。いろいろ話をさせていただいて実に楽しかったし、いろいろな売り場を見るのも面白かった。
それで、「そうだ、本屋さんの話を書こう」と突然、閃いたのだった。自分に何の取っ掛かりもない化粧品会社よりも、本屋さんの方がはるかに楽しいし、勉強にもなる。本屋さんは女性が多い職場でもあるし。そう閃いた途端、プロットも思いついた。同行していたパルコ出版の編集者に「こんな話はどうだろう」とべらべらしゃべったことを覚えている。
場所は池袋の地下街。リブロを出て、ジュンク堂へ向かう途中のことだった。

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再校ゲラを戻す

普通は著者が再校ゲラをチェックすることはあまりない(校正者の不明点だけ確認することが多い)が、今回は初稿の赤があまりにも多かったので、再校も見せてもらうことにする。
とはいえ、赤が多くなったのはこちらが悪いので、進行の妨げにならぬよう、昨日の朝届いたゲラをその日の夜には戻すことにした。
さすがにもうそれほど赤はないので、チェックもラクなもの。文章的には初稿よりかなりましになった。通して読むと、結構、おもしろいじゃん、と思ったりもして。

夜には編集者に渡して、第2作の実作業はようやく終わった。
発売は来月後半。ようやく間近になってきた気がする。

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ゲラ

2作目のゲラが出てきた。
2作目の発売元は、今では数少ない社内校正室がある出版社。噂では、原稿にめちゃめちゃ赤が入ってくるという話しだったので、楽しみにしておりました。

いやー。思ったほど多くはなかったんですけど、いろいろ赤が入っています。資料もべたべた貼ってあるし。嬉しいですね。自分の原稿がきちんと読まれて、こうしたらもっとよくなる、とアドバイスされている気がします。

編集者の赤というのも基本的にはそうなんだけど、内容に踏み込んだ指摘もされるので、編集者の個人的好みとしか思えない指示とか、解釈の相違からくる指摘も時にはある。そうなってくると、こちらとしては必ずしも諾といえないので、緊張感を強いられる。
その点、校正とか校閲の方の指摘は内容というより言葉の使い方や内容の整合性についてなので、素直に聞くことが出来るのだ。
だいたいは、指摘されていることの方が正しいし。それで、少しずつ校正者の疑問を原稿に反映させていると、原稿が確実によくなっていくのがわかる。書き手としては、それはなにより嬉しい。

なんて喜んでいるのは実は未熟な証拠だったりもしますが。自分の書いたものにプライドを持っている作家さんは、一言一句ゆるがせにせず書いているので、そうそう校正者の指摘を受けることもないだろうし、指摘されるのは屈辱、と思うんでしょうね。
まあ、いずれはそうなりたいものだと思いますが、とりあえず今はプロの校正者に「さすがプロ」と思うような鋭い指摘を受けて、単純に嬉しがっております。編集者以外の人の目に触れて、ようやく作品が完成に向かって進んでいる気もするし。そんなわけで、上機嫌でゲラの作業をしている。

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原稿書き

しかし、怒りにまかせて原稿を書くと、これがはかどるのだな。
なんだろう、原稿を書くことが特別なことではなくなる。というか、これが本来の自分、という気になってくる。
ものを書くということはずっと仕事の一部だったし、書くこと自体は苦痛じゃない。実際、プライベートでも、旅行した時や、なにか印象に残ることがあると、自然とノートにあれこれ書きつけてきた。書くということはずっと自分の生活の一部だった。

しかし、小説についてはまだ書き始めての年月が短く、それ以前も書こうとは思っていなかったので、どうも億劫だ。部屋を片付けたりとか、何か儀式のようなことをしなければ、パソコンに向かう気になれずにいた。
それが、ここのところ怒っているので、原稿がはかどること、はかどること。苦手意識のようなものがなくなった、というか、何かプラグが繋がったような。
それで、ようやく本来の自分に戻ったような。仕事として書くという行為がようやく腑に落ちたような。そんな気がしている。

こうなったら大丈夫と、4年ぶりくらいに思えた。ようやく仕事のテンションが戻ってきた。長い逡巡でした。これからばりばり仕事しましょう。

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原稿の直し

ミクシィで編集者時代のことを振り返ったり、自分の原稿をチェックされたりしていてつくづく思うのは、小説の原稿の直しを指摘するのは難しい、ということだ。
作家は自分の原稿をベスト、と思っているわけなので、それを直すのは原則、好まない。しかし、だからと言って作家に気を遣って直すべきところを直さないのは駄目だ。明らかな欠点を放置し、作品がよりよくなる可能性の芽を摘んでしまう。そして、それがために作品の評価が低くなるような事態を引き起こしたとしたら、それは編集者の職場放棄に等しい。
しかし、無闇に自分の書かせたい方に誘導しようとするのは、もっと駄目な編集者だ。

原稿の直しというのは、結局はその人の小説観とか、好みの問題に掛かってくる。しかし、小説は作家の個人名で出すものだから、編集者と作家の意見が分かれた場合、100%作家の意見を尊重すべきものだ、と私は思う。なかには、こういう男性像が好きとか、こういうヒロインは嫌い、といった明らかにその編集者の趣味としか思えないことを作家に押し付けてくるような編集者もいる。「高倉健みたいな男性にしましょうよ」とか言われても、そういうキャラクターを書く意図でなかったりすると、書き手は混乱するばかりだ。

さらに、そういうことで、作家のモチベーションを下げてしまったとしたら、それは最低の編集者だと思う。幻冬舎の石原さんという業界でも良く知られた編集者は、「編集者の仕事は助産婦のようなものだ」とあるテレビ番組で言っていた。そのとおりだと思う。編集者の役割は、作家が小説を書く手助けをすることであって、自分が率先して作品をある方向へ仕向けることではない。作家は編集者の自意識を満足させるために小説を書いているわけではない。
しかし、そんな当たり前のこともわからない編集者も実は少なくない。小説を直させることの畏れを感じない編集者は、すべからく駄目な編集者だ、と私は思う。

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男目線

2作目の返事がなかなか来ないので、3作目を書き始める。
迷っていたが、今回は男の視点で書き出してみる。
いやー、これが楽しいのなんの。前作の、女の主人公より全然書きやすい。でもって、書いているうちにだんだん主人公の性格が見えてきたり(最初考えていたより小心なんだなあ、とか)、男だったらこんな風に考えるんだろうな、という風にイメージがどんどん膨らんでいく。

まあ、私の場合、性格的に男性的な部分が強いと友人には言われるし(本人はいたって女性的だと思っているんですけど)、実際、「いかにも女」的な部分がある女性よりも、男性の方が付き合いやすい。仕事人生のうちでだいたいが男性の多い職場で働いてきたし、女性が過半数を超える職場にいた4年くらいの間はむしろとても辛かった。会議のやり方ひとつとっても、全然違うんだもん。へんに神経を遣わなきゃいけなくて、とても疲れた。
第2作では、自分とまったく違う性格の女性を出そうと思って、その時期に周りに居た「いかにも女」というタイプの女性を元にキャラクターを作ってみた。そのためか、とても扱いにくかった。全然、感情移入できないし。というか、実のところ、あまりしたくないし。
今、書いていて楽しいのは、その反動なのだろうか。感情移入がしやすいのは、自分とは違うものだと思うから、平気でできるのだろうか。

とはいっても、実際に男ではないわけなので、自分が楽しいからと言って、どこまで男目線で書けているかは自信がない。だから、本当にこのまま男の視点で書き通せるかはわからないけど、新しい試みを今は楽しんでいる。

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3稿完了

昨日、3稿が終わって、編集者に送る。

終わってみると、619枚。前作よりちょっとだけ長い。
2稿で530枚まで減らしたのに、無駄な抵抗だったのか。
だけど、ふたり主人公だからなあ。背景を書き込みとそれくらいいっちゃうんだよね。とりあえず、書きたいことは書ききった気がするし、2稿よりよくなったと思うんだけど。
いろいろ取材したので、それを書きすぎなのかなあ。小説は細部が大事なので、いろいろ書きたいのだけど、それがいいのかどうか自分ではもはや判断がつきません。あとは編集者に任せよう。

というわけで、小休止して、週明けからは第3作のプロットに取り掛かります。予定より、ちょっと遅れ気味。だけど、やっと新しい作品にかかれるので、嬉しくもある。また、気持ちを新たに頑張ろう。

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あと少し

今週中には第3稿が終わりそう。
近所の公園の満開の桜を窓から眺めながら、ほとんど外出もせず原稿を書いている。

2稿で530枚くらいまでせっかく減らしたのに、結局600枚を越えそうだ。やっぱりふたり主人公だと、それぞれに書くことがいろいろあるし、職場ものだから登場人物も多いし。
いいのか悪いのかはわからないけど、とりあえず終わらせて編集者の判断を仰ごう。
にしても、直しでこんなに増えたり減ったりするのは、とっても効率が悪い。これも最初のプロットが甘かったからだな、と反省している。次からはもっとプロット詰めてから書くようにしよう。早く次にかかりたい。

そんなわけで、変化に乏しい生活を送っているので書くこともあまりない。ずっとパソコンに向かっているので首が痛い。終わったらいろいろ身体のメンテをせねば、と思っています。

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打ち合わせ

腰を痛めたり、首が痛かったりと体調不良が続いていたり。

それはともかく、第2作の打ち合わせ。
実は、今回、第1章のところだけ、実際にあった話をアレンジして使っているのですが。編集さんには、第1章だけがリアリティがない、と言われてしまった。
でも、そんなものですね。前作でも、実際にあったことも入っているんだけど、「これはほんとにあったことなんですか?」と聞かれるのは、たいていフィクションの部分。事実は小説より奇なり、というけど、そんなものでしょう。実話の方が、ありえない、とか偶然にしてもできすぎ、って思うことがよくあるしね(といっても、MIMOZAのシーンは作り事です、もちろん)。

今回、直すのはやぶさかではないのだけど、小説の内容が、その話を聞いてインスパイアされて思いついたものなので、それ以外の出だしは考えにくいなあ。でも、編集さんが不自然だと言うのもわかる気もするし。

前作でも、出だしというのは実は第3稿まで悩んだ。2稿を読んだ業界の友人に「出だしは変えた方がいい」と言われて付け加えたものだ。最初の案では、いきなり主人公が「編集長になれない」と言い渡されるところから始まる予定だった。まあ、結果的にはいい形に収まったと思うけど。

本を買うかどうか迷う時、冒頭だけ立ち読みすることもありますよね。だから、「冒頭は死んでも面白いものにしろ」とは、かの火浦功先生も言ってることだし。つかみは大事ですよ、ええ。だけど、今のままだとやりすぎで、主人公の印象が悪くなるかも、という懸念もある。
まあ、もう少し考えてみます、はい。

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第2稿完成

やっと。
たった今、編集者様に送った。あとは編集者様判断だが、まあ出版できるレベルにはなったんじゃないか、と思う。
ようやく、ここまでたどり着いた。
枚数的には537枚(原稿用紙換算)。
長い戦いでした。

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原稿枚数

前回の「辞めない理由」の原稿枚数は、400字換算で608枚。
このときの第1稿では450枚程度だったので、大幅に加筆した。
今回は第1稿で583枚。だが、どうにもテンポが悪い。前回も「少し長かった」という意見もあり、今回は530枚前後で収めたいところ。
それで、最初から原稿を見直してみると、だらだらと無駄なところが多く、めりはりがない。感情的な起伏をもっと入れたい。
それでいらないと思われるエピソードをばさばさ切ってみると、489枚になった。それでも、まだ切れる気がする。と同時に、もうちょっと書き足すべきところも多々ある。だから、やっぱり最終的には530枚前後で収まるくらいになるのでしょうか。

だらだら書くのは簡単なんです。ほんと。キャラクターの背景を考えれば、いくらでもエピソードは浮かぶし、情景描写を入れようと思えばいくらでも引き伸ばせる。だけど、問題はそれが効果になっているかどうか、なんだよね。
書いた以上は、ほんとはその部分も残したい。そのエピソードを描いた意図というのもあるからね。これは書き手としての心情。だけど、全体の尺とか構成を考えれば、もうちょっと削ってテンポを上げた方がいい、これは編集者的な心情。

その作業をやりながらふと思ったのが、ハリウッドの映画制作のシステムのこと。ハリウッドの場合、映画の最終的な編集権を持つのは通常、監督ではない。映画の場合、編集の仕方でいくらでもテンポや画面のインパクトが変わる。最終決定権は監督がもった方がいいように思われるが、そうではない。プロデューサーであり、その下で作業する編集者であるという。これには、いろいろ理由があるが、一番大きいのは撮影に携わった人間はつい、このシーンには時間を掛けた、とか、意図したよりよく撮れたとか、いろんなことを思って切れなくなってしまうからなんじゃないかと思う。
映画の「ディレクターズカット版」(つまり監督自身が編集したバージョンですね)なるものの多くが、通常バージョンのものよりだらだら長くてつまらない、という事実がそれを裏付けているのではないか。

なので、自分も今は作家バージョンから編集者バージョンに頭を切り替え、心を鬼にしてばさばさ切っているわけです。
っていっても、こんな無駄なことをやってる作家は少なくて、多くの方は最初から一発OKの原稿を書いているんです。だから、まだまだ素人な書き方ですね、ほんと。

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第1稿

次回作の第1稿が終わった。
といっても、私の場合、第1稿は下書きみたいなものだから、これから大幅に手を入れるので、決定稿出すのは先だけど。どんなに早くても、今月いっぱいかな。

にしても、長かったなあ。編集者経験から、多くの作家が第2作で一番苦労することは知ってたけど、ほんとその通りだった。1作目は勢いで書きたいことを書いてしまって、第2作っていうのは初めての注文原稿だから、求められるものはなんだろう、とか考えてしまうんだね。
第1作と同じようなテイストを出しつつ、別の路線で、とかね。
今回も単純なプロットのつもりだったのに、なんでだか、前のように勢いでは流せませんでした。途中で完全に息切れして、ゴールまでたどりつけないか、と思った。

「作家の才能は、書き始めたら最後まで書きとおすことだ」
というようなことを村上春樹さんが言ってましたね。書きながら、後半はずっとそれを念じていました。
とりあえずほっとしました。今日は休んで、明日から、また直しを頑張ろう。

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謝辞

見本ができたところで、現在までの謝辞を。
本には仰々しいと思って入れられなかったので、せめてここで。

完全に内輪話です、すみません。

まず、担当編集の宮川真紀様、森陽子様。出版はやはり編集者の力なくしては実現しないし、作品の完成度にも大きな力を与えるということを示していただきました。
出版のきっかけを作り、内容にも的確なアドバイスをいただいた大森望・さいとうよしこ御夫妻。勝手にモデルにしてすみません。今度、奢ります。
素敵なイラストで表紙を飾ってくださったおかざき真里さま。表紙の人物が私に似ていると言う人もいますが、絵の方が全然素敵です。
デザイナーの葛西恵様。本屋でこの本はひときわ目立つに違いありません。そのうちお目にかかれればと思います。
超多忙のスケジュールを割いて、HPを作ってくださった和田様。女っぽすぎないデザインが素敵だと、友人にも好評です。白木蓮は嬉しかった。
仕事にはならないのに、原稿を読んでいろいろ助言いただいたS社のC様。後半の直しはCさんの意見がとても参考になりました。
ファッション音痴の著者のために、時間を割いてブランドネームのチェックをしてくださったスタイリストのM様。少しは読めるものになったかしら。
それから、私自身に書くことの意義を思い出させてくれた友絵ちゃん、安達くん、山下くん。次回作も頑張ろう。ところで、安達君、新作、いただけると嬉しいです。
書いてる途中で、読んで感想を寄せてくれたまさみさん、佐野さん。本以外でもとても助けてもらいました。これからもよろしく。
ここでお名前は書きませんが、HPに感想を寄せてくださったみなさま。それぞれ真剣に読んでくださって、嬉しかったです。
そのほか励まし続けてくれた友人たちにも。結構、自分は友人に恵まれているといまさらわかりました。

みなさん、たいへんお世話になりました。本当にいろいろありがとうございました。

そして、この小説を書くきっかけになったさまざまな出来事やさまざまな人とのかかわりに感謝します。ありがとうございました。

最後に、我がままな私に呆れつつも容認してくれる家族に。モデルではないのに、どうしてもモデル扱いされることになるだろうな、と予想されて申し訳ないです。すみません、そしてありがとう。でも、いつかはちゃんとこの本、読んでね。

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再校が出る

再校が出る。
再校は校正者を通さないそうなので、頑張って見ねば。これが最後の原稿チェックになるはずなので。世に誤植の種はつきまじ、とはいうものの、無いに越したことはない。
再校戻せば、ようやく制作作業は終わりになる。あとは印刷所からあがって来るのを待つばかりだ。もちろん、編集者だったら、表紙の色校だの、奥付の入稿だの、まだまだあるのだけど、今回は著者なので、再校でおしまい(のはず)。ちょっと、寂しいような。

あとは営業のお手伝いが出来る部分があれば、するくらい。ヒマなので、やる気満々なんですけど、邪魔になってもいけないし。パワー、持て余してるかも。

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原稿の直し たびたび

ブログで原稿のことについて書くと臨場感があるらしい。私の周りで小さく好評なので、調子に乗って恥をさらす。

原稿の直しで、一番ひやりとしたのは、うっかり差別表現を書いてしまったこと。
学校教師が主人公の娘のことをあれこれ批判する、というシーンがあるのだが、そこで
「早期教育は***になったりとか、弊害も多いんですよ」
***とは、ある病気の名前を入れたのだが、これについて二人の友人から指摘があった。
「***はなるものではない」
ウイルス性の病気とか生活習慣病とかいうわけではないので、言われて見ればその通り。
「しかも、それをしゃべっているのが教育関係者というのはありえない」
なるほどねえ。
とてもステレオタイプな考え方をする(共稼ぎの子どもは愛情が足りない、といったような)先生の差別的な発言を書こうとして、うっかり自分が差別表現をしてしまいました。***の方、ごめんなさい。
しかし、指摘をしてくれたのは二人とも学芸大の先輩。片方は現役の司書教諭。
「学芸大出てこれではまずいよ」
ごもっともです。これでも小中高の教員免許持ってるんですけどね。何の役にも立ってません。

でも、これだからいろんな人に読んでもらうって、大事なんですね。私も編集者も校正者も一生懸命やっても見落とすことはあるからね。ご指摘くださったみなさま、ありがとうございます。未熟な著者は、みなさまのおかげでなんとかやっております。

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原稿の直し、さらに

話は前後するが、原稿の直しということではスタイリストの友人Mさんのことを忘れてはいけない。原稿がある程度、固まった頃(3稿目くらいか?)の段階で、友人のスタイリストのMさんにも見てもらおう、と思った。というのは、主人公が女性誌の編集者という設定なのだが、私自身はまるでファッション音痴。トンチンカンなことを書いていないか、自分でも不安だったのだ。

案の定、読んだMさんはボロクソ。ブランド名の使い方など「信じらんない」とまで言われてしまった。
「もし洋服がシャネルだったら、靴やアクセサリーもそれに見合ったブランドは決まっているの。それに、どのブランドを選ぶかで、その人のライフスタイルって見えてくるものなのよ。知ってるブランドを並べているだけじゃ、だめ」
なるほどねえ。「じゃあ、どうしたらいい?」

「しょうがないわねえ」と言いながら、彼女はいろいろ具体的に教えてくれた。結局、親切なのである。辛らつなコメントも親しければこそ、だ。もし、どうでもいいのであれば、原稿を400枚も読んでくれるわけがないし、適当に褒めてほっておけばいい。恥を書くのは、結局著者である私なのだから。

「ありがとう。謝辞にMさんの名前、入れとくよ」
「やめて。私のセンスがこういうものだと思われてしまうじゃない」
うーん、直してもまだまだ、ということか。ファッション通への道は遠いぜ。

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原稿の直し、3たび

そもそもこの小説がパルコ出版で出るに至った経緯は、文芸評論家で翻訳家の大森望さんの紹介によるものである。大森さんの奥さんのさいとうよしこさんと私は20年来の友人。その縁で大森一家とは家族ぐるみのつきあいである。

大森さんが最初に宮川さんを紹介してくれるときに、彼女を選んだ理由として説明してくれたのは、

・宮川さんがワーキングマザーであること。
・文芸専門の編集者ではないが、小説がきちんと読める人だということ。
・この小説は文芸書的な売り方をしない方がいいと思うので、文芸の出版社でない方がむしろいいだろうということ。

の3点だった。そのほか、大森さんは何も言わなかったが、私の性格とあいそうな人ということも考慮してくれたのではないかと思う。私の性格についても編集者と作家との相性についても、よくわかっている人なので。
私自身、出版社に勤めていたし、文芸の編集者も何人か知ってはいる。そのなかの誰かにお願いすることもできなくはなかった。だけど、大森さんの方がはるかに多くの編集者と付き合いがあるし、そのなかで彼がベストだというのであれば、それは自分自身の判断よりも正しいだろうと思っておまかせすることにしたのだ。

実際、宮川さんの熱意とか原稿に対する真剣さとかを目の当たりにするにつれ、その判断は正しかったと思うし、なにより紹介してくれた大森さんに深く感謝するのだ。持つべきものは友(達の夫)、である。

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原稿の直し 続き

こんなふうに何度も直したために、いちばんたいへんだったのは、担当の宮川さん。
4度か5度は読み直しをし、そのたびに細かく問題点を指摘してもらいました。
自分が編集者だったからわかるけど、普通は、編集者はそんなに原稿を読んではくれません。まあ、こんなに何度も直すアマチュアな作家もそうそういないんだろうけど。自分の担当作家がこうだったら、ものすごくイライラしたと思うよ。編集者は忙しいし、そんなに気長につきあってはいられない。それに、読んでも、なにも意見を言ってくれない場合もあるし、意見を言ってくれたとしても参考になるものばかりとは限りません。

だから、担当に宮川さんがついてくれたのは、本当にラッキーでした。毎回、きちんと読んでもらえたし、的確な指摘をしてもらえました。最初の原稿からくらべて自分で納得する形に仕上げるところまでもってくることができたのは、ただただ宮川さんのおかげ。本当に有難いと思います。

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原稿の直し

実際のところ、最初にこの小説の第1稿をあげたのは、1昨年、つまり2004年の9月ごろだった。その段階で何人かの人に読んでもらった。そのメンバーには文芸評論家や文芸雑誌の編集者もいた。彼らの意見を参考にして、後半、全面的に書き直しをした。この段階で、原稿用紙にして50枚以上は最初のものに書き足している。

そうして第2稿があがったのが2005年の3月頃。それを評論家の友人に再び読んでもらい、今のパルコ出版の編集者の宮川さんを紹介してもらった。幸い、宮川さんが気に入ってくださって出版を検討していただけることになった。それで、今度は具体的に細かい部分の直しを宮川さんと詰めていくことになる。しかし、この時期、私自身が転職をしたり、転職先でいろいろトラブルがあって心身共に疲れる状況であったために、直しがなかなか進まず。また、正直なところこれで決定稿と言うには抵抗があった。その理由がなにかわからないまま、模索を続けていた。

結局、転職先を事業縮小という理由でリストラされ、この小説に真正面から向き合うしかない、と覚悟を決めたのが2005年冬。そして、気持ちを新たに書き直しを進めた。前半についてもいろいろ手を加えたので、最初の原稿の状態のまま残っているシーンはほとんどない。

「これで決定稿です」そう思って、宮川さんに渡したのは今年の2月。最初の原稿から1年半。結局、100枚近く書き足したのではないだろうか。宮川さんにもOKがもらえたのだが、それでも内心迷いがある。まだ何か足りない。何かが足りない。
さらに入稿直前までねばって原稿用紙10枚ほどエピソードを書き加えた。作品的には無くても成立するかもしれないが、ここを書けたのでこの小説を書いてよかった。これでようやくピリオドが打てる。そう思ったのは、ついこの3月中旬のことだった。

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校正チェック

今日、再びパルコ出版でゲラのチェック。
校正者のチェックと編集者のチェックについて、その場で編集者と検討、訂正を入れる。
自分だけで見ていたときは、結構、いいじゃんなんてお気楽なことを思っていたが、細かく一語一語見直していくと、下手だなあ、としみじみ思う。これは陳腐な表現だ、とか、同じ言い回しの繰り返しだ、とか欠点ばかりが目に留まる。
もともと文章がうまいとは思っておらす、読みやすいのがとりえ、ぐらいの自覚はあったが、本当にこれでいいんだろうか、などと迷ってしまう。
ああ、文章は難しい。

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ゲラの直し

昨日、パルコ出版に行き、編集者とチェックしたゲラの読み合わせをする。
自分では、もうこれで大丈夫と思っていたのだが、編集者が読んで、おかしいと思ったところとか、説明が足りないところなど、いくつも指摘された。

たとえば、主人公の娘が主人公に向かって、
「絵里(娘の名)は働いているママが好きだよ」
というセリフがあるのだが、これについて
「小学校1年の女の子のセリフにしては、抽象的すぎる」
と、指摘された。なるほどなあ、と思った。娘の言葉に主人公がはっとする、というシーンを描きたかったのだが、これでは婉曲に主人公を励ましている感じなので、かなり大人っぽい気遣いをしているように思える。小学1年の子どもが、そこまで気配りしたことが言えるだろうか。

話し合った結果、そこは、
「ママ、仕事辞めない方がいいと思うよ」
と、直すことにした。これぐらいの方が、子どもらしい。あまり深く考えずにぽろっと口から出た、という感じがする。だからこそ、余計、主人公の胸に響くものがあるのではないか、と思うのだ。

こういうところが、編集者の指摘の有難いところである。指摘されなければ、そのまま通してしまっただろうと思う。担当の宮川さんには、小学校低学年の娘がいるので、子どものセリフについては私より敏感だ。私自身は子どもがすでに中学生になっているので、子どもの言い方など、忘れてしまっている。最初のセリフでも間違いではないけど、直したおかげで前よりよくなったと思うのだ。

こういう編集者とのやりとりはとても楽しい。原稿がどんどんよくなっていく気がする。作家によっては、あがった原稿を直されることを嫌う人もいるけど、私は好きだ。明日は校正者のチェックが戻ってくる。校正者はどんな指摘をしてくれるだろうか。怖いけど楽しみだ。

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ゲラ

法事で和歌山に帰っている間に、ゲラが出た。著者は遊んでいても印刷所さんはちゃんと働いているのだ。
ゲラというのは、入稿した原稿が印刷される文字組になってプリントアウトされたもの。その状態で原稿のチェックをするのだ。著者、校正者、編集者により訂正、赤字が入る。通常、校正者、編集者は2回目を通すが、著者は1回だけの場合が多い。おそらくこれが私のチェックは最後になると思うので、慎重に目を通さねば。

久しぶりに通して自分の原稿を読み直すと、いろいろ発見がある。お、この用語の使い方、間違っているじゃん、とか、ここは意外とうまく書けたなあ、とか。でも自分の原稿という欲目抜きにしても、すらすらテンポよく読めるんじゃないか、と思う。
できればジェット・コースターノベルと呼ばれたい。とにかく主人公がいろいろな目に遭ってストーリーがぽんぽん進んでいく、というのが最初に目指したところでもあったので、その狙いはそこそこうまくいってるかな、と自賛する。
まあ、今のうちはそれくらいうぬぼれていないと、小説を人様に読んでいただこうなんてできませんけどね(笑)。

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原稿完成

今日はスポーツクラブに行きたかったけど、体調悪く断念。
医者に行こうかとも思ったけど、パソコンで調べると、すでに受付時間を過ぎている。

つまり、原稿書けってことだよね、と思いなおして久々にパソコンに向かう。

残りはほんの3ページ。
でも、雑誌の存在意義を主人公が語るシーンなので、かなり重要だ。
私自身の雑誌に対する姿勢を問われることにもなるし、タイトルの「辞めない理由」の意味を示すことにもなる。

それで、どう書こうか、この1週間、ずっと悩んでいたわけ。

でも、あきらめてパソコンに向かったら意外にすらすら言葉が出てくる。
1週間、うだうだしていたのが嘘みたい。
よし、これで完成というまで、わずか3時間足らず。

さらに推敲しようと思ったのだけど、パソコンの調子がおかしい。
とりあえず編集さんに送って終わりとしよう。

なにかあったら、ゲラで直そう。
なんてまあ、新人のくせに不遜なこと。

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目標!「ガラスの仮面」

表紙を漫画家さんの絵にしたい、というのは、編集のM川さんのアイデア。
どうも、小説のノリがコミック的、らしい。自分ではわからないけど。

だけど、そういわれるのも、ある意味当然。
だって、小説書くときに目指していたのは「ガラスの仮面」だから。

とだけ書くと誤解を招きそうなので、正確なところを説明すると。

小説を書こうと思ったとき、最初にイメージしたものはふたつ。

ひとつは、篠田節子さんの小説「女たちのジハード」のような、仕事で頑張る女性を書きたい、ということ。それも、篠田さんの小説のように、その仕事(具体的には雑誌編集)ならではの喜びとか困難さを書いてみたいということ。

もうひとつは、美内すずえさんの漫画「ガラスの仮面」のノリを入れたいと思ったこと。
「ガラスの仮面」は長い作品ですが、章でいえば「華やかな迷路」から「冬の星座」の前半のあたりまで。
つまり主人公の北島マヤがライバルの陰謀で芸能界を追放され、女優として舞台に立つチャンスを失ってしまう。だけどそこから自力で這い上がり、大劇場のオーデションでほかの候補者に大差をつけて舞台に返り咲く、というそのあたり。「ガラスの仮面」ファンでない人にはわかりませんね。ごめんなさい。
でも、逆境から這い上がる主人公を書こうと思ったとき、目指したのは「ガラスの仮面」の面白さ、爽快感なのでした。

「女たちのジハード」にしろ、「ガラスの仮面」にしろ、たいへんな傑作なので、それに自分の拙い小説が肩を並べられるなんて、到底思ってはいません。
でも、編集者が「漫画の表紙がいい」と思ったということは、コミック的なエンタテインメント性が少しは出せているということかな、と思った次第。

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