「日曜日の人々」

夫が購入した英語版のビデオを見る。

これは1930年製作のドイツの無声映画で、私の好きな監督のビリー・ワイルダーが脚本に参加しているというので、わざわざ取り寄せてもらったもの。ワイルダーのベルリン時代の映画という以外の情報はなく、内容はまったく知らずに見た。
正直、衝撃を受けた。大半が野外撮影で、町の描写がいきいきとした構図で撮られている。俳優中心ではなく、物語もこれと言ったストーリーがなく、ドキュメンタリーのようにただ日曜日の若者5人の1日を描いただけ。無声映画なので俳優がしゃべるその口元を捉える必要もなく、俳優中心の構図でなく、カメラは自由に動いている。
これが、無声映画なのか。この時代にこんな斬新な映像が撮れていたとは。

それであとから調べたら、これは特異な成り立ちの映画だったことがわかった。ベルリンの芸術家のたまり場で常連の一人が、ある時、「叔父の遺産が入ったから映画を作ろう」と言い出し、それがきっかけで作られたものだという。スタッフでプロだったのは撮影を担当したシュフタンだけ。あとは(俳優も含め)素人ばかり。映画が野外ロケばかりなのはセット撮影するお金がなかったからだし、役者も映像に出てくる役の職業が本業だったという。いってみれば、自主上映映画の走りみたいなもの。しかし、そうしたことが、逆にリアルさ、後のネオ・リアリスモに繋がるような生き生きした映像を生み出すことになったわけだ。

さらにすごいと思うのは、この作品に関った多くがプロの映画人になってしまったこと。脚本のワイルダーはもちろん、撮影助手で参加したフレッド・ジンネマン(「真昼の決闘」の監督)、監督のローベルト・ジオドマク、エドガー・G・ウルマーなどもハリウッドにわたって映画人として成功している。

芸術家として成功する人々のなかには、若い頃、ほかのアーティストと触れ合い、触発された経験を持つ者が少なくない。当時のベルリンといえば、文化的に爛熟し、さまざまな芸術を生み出した場所だったから、そこには自ずと才能のある人々を引き寄せた。カフェ文化華やかなりし頃だから、ベルリンのカフェというのは才能の溜まり場だったのだろう。その自由な空気がこうした映画を生み出したんだろうと思う。当時、映画は最先端の芸術だったし、そこに若い才能が大いなる夢も抱いていただろうし。
ワイルダーも、そういうところで育って才能を開花させるに至ったのだと思う。いい時代、いい場所に居合わせた。それも才能が育つための条件だったのかもしれない。
1本のビデオを見ながら、そんなことを考えていた。

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「マーダーボール」

車椅子ラグビーのドキュメンタリー映画、「マーダーボール」を見た。

アメリカ映画だからなのだろうか、身障者もので想起されるような湿っぽさはまったくなく、とてもカッコイイ映画だった。映像的にMTVっぽいような凝った撮り方をしていることもあるけど、出てくる人物がカッコイイ。それはスポーツに賭ける人間特有のカッコよさ、それから、挫折から立ち上がった人間たちのカッコよさだと思った。

車椅子ラグビーの選手の多くは足だけでなく、首から下が麻痺している。ほとんどが先天的なものではない。事故や病気でそういう状態になった時、人はなかなかその事実を受け入れることができないという。「なぜ自分が」と思い、「そのうち歩けるようになる」と夢を見、2年くらいは現実を見つめられないという。そこを受け入れて、リハビリである程度のことができるようになるまで、さらに2年くらいの時間がかかるのだそうだ。
おそらく、その4年くらいの間の心の葛藤というのは、凄まじいものだったろうと思う。人はそこまでの挫折でなくても、なかなか立ち上がることが出来ず、自分の運命を恨んだりするものなのに。手足が自由に動くという、当たり前だと思っていたことが当たり前でなくなった時、人はどれほどの挫折感を抱えることだろうか。

ここに出てくる選手たちは、その苦しみを乗り越えているので、みな明るい。過去に抱いた挫折感とか、女性との付き合いのことなどもあっけらかんと話している。不自由を抱えつつ、障害も自分の個性、と自分にも人にも認めさせるだけのパワーを持っている。言葉で言うのはたやすいが、これは凄いことだと思う、本当に。

だが、この映画で気づかされるのは、身障者であろうとなかろうと、スポーツに賭ける強い思いというのは変わらないということだ。勝つという、そのことだけのために、みんな必死だ。試合で無茶なこともするし、チームを裏切って自分を評価してくれる所に転籍したりする。おそらくどんなスポーツ界でも起こり得るいろんな葛藤やドラマがここにもある。身障者の物語というより、だからこれはスポーツドラマとして十分、面白いのだ。アメリカチームとカナダチームの因縁の対決に、観ているこちらもぐんぐん引き込まれる。クライマックスはアテネ五輪のシーンだが、思わず「そんな馬鹿な」と言いたくなるどんでん返しがある。実話ならではの醍醐味だ。

観終わって、こちらも元気になった。まだまだ自分だって頑張れるはずだ、と思った。「かっこいいとはこういうことだ」という映画のキャッチコピーが昔、ありましたが、この映画を観てそれを思い出しました。出てくる人物、みんなカッコよかった。観てよかったと思います。

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芋たこなんきん

朝の連続テレビ小説を久々に見ている。

田辺聖子さんの自伝的ドラマ「芋たこなんきん」。田辺さんのイメージと主演の藤原直美さんは少し違うけど、さすがに達者ですね。おとうちゃん役のTOKIOの城島くんとか、かもかのおっちゃんとか、脇もなかなかよくて、安心して見られます。
このあと田辺さん自身のプロフィールをなぞるのであれば、主人公は結婚して、大家族の主婦をしながら作家業をしていくことになるはず。核家族でも主婦業との両立はめんどうだな、と思っている現在の私には、今後の展開が興味津々です。

それにしても、このドラマを機に、各社、田辺さんの過去の作品を復刊させてくれないかな。「言い寄る」とか「苺をつぶしながら」とか、ずっと探しているんだけど、全然見つからない(全集で買えばいいんですけど、それもねえ)。それから、講談社で出た田辺さんの料理本もなんとか。視聴率もいいみたしだし、出して損はないと思うんだけど。

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「カポーティ」を観る

待望の「カポーティ」を観た。

作品を仕上げるためには何でもやる、という非情さ。犯人からの嘆願を握りつぶし、処刑が延期されないようにと祈る冷酷さ。
一方で、犯人に辛抱強くつきあい、彼らを理解し、力になってやろうという誠実さ。
その瞬間、その瞬間、それは真実。

程度の差こそあれ、それは作家の中にある業である。その部分はとてもよく描けていると思ったし、もの書きの端くれとして共感できる部分も多かった。

だが、「冷血」のショックで、それ以降、カポーティが書けなくなった、と言わんばかりのエンディングは甘すぎる。史実とも少し異なる。カポーティのように書くことの毒に耽溺している作家は、そんなに弱くはない。映画としてきれいにまとめるために、ああいう結末にしたのだろうか。
とはいうものの、とても面白く、興味深い映画だった。長く印象に残る作品だろうと思う。大衆性はまったくない映画ではあるけれど。

帰宅してから、猛烈にカポーティが読みたくなり、新潮文庫の「叶えられた祈り」を読み始めている。

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「カポーティ」

映画「カポーティ」がもうすぐ公開されますね。今年の映画では、一番の楽しみ。
もっとも、この映画は「カポーティという人がいかに付き合い辛い人間だったかがよくわかる」そうです。そんなこと、とっくに知ってるもん。作家がいい奴なわけ、ないじゃん。
でも、娯楽映画ではなさそうだし、このタイトルでときめく人がそんなにいるとも思えないから、打ち切りになる確率も高い、とみた。早く行かなきゃ。

映画が公開されたことでよかったのは、カポーティの作品が復刊されたり、新しく刊行されたりしていること。昔の本は倉庫に預けてあるので、新潮文庫で新しく出たのは嬉しい。「叶えられた祈り」は、また読みたかったの。
山本容子の版画のついた「クリスマス」のシリーズも、1冊買い逃していたから、この際、買い直そうかな。

私的には、9月はちょっとカポーティ祭りなのだった。

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