近所の本屋
今日は散歩がてら、家から歩いて10分ほどのところにある本屋さんに出掛けた。普段はもっと近い本屋さんか、反対方向にある300坪ほどの書店に行ってしまうので、ここまで来ることはあまりない。
そこで、ふと文庫売り場の一番奥、新潮文庫の海外文学の棚を眺めてみた。その途端、デジャブで頭がくらくらした。
ディケンズの茶色の背表紙、モームの紺と黄緑、シェークスピアのライトグレー、ヘッセのミントブルー、トルストイがブルーでドストエフスキーがグレー(逆だっけ?)そのほかジュネ、フォークナー、スタインベック、シリトーなどなど、中学高校の頃、近所の本屋で見ていた新潮文庫のラインナップがそのまま残っているではないか。ボーボワールの「第2の性」(完全版だが)やジュネの「泥棒日記」、「サキ短編集」まである。
こういった文庫がまだ絶版になっていないというのも驚きだが、それらが、20坪程度の書店の棚にちゃんと並んでいるのも驚きだ(よく見たら、キングとかアーヴィングとかクランシーとか、新しい作家もちゃんと並んではいたけれど)。
私の子どもの頃は、文庫に納められている作品はある程度、評価の定まった名作と相場が決まっていた。文庫自体の種類も少なかった。新潮とか角川、講談社とか、あとは創元推理とか早川とか。
その中でも新潮文庫は地方の書店にも強く、私の家の近くの15坪ほどのお店にも、ちゃんと並んでいたものだった。中学高校はおこづかいが限られていたし、むしろレコードにお金を使っていたので、本代に割ける金額は少なかった。当然、買えるのは文庫本くらい。わずかのお金を何に投資するか。今のように、本の情報を扱う雑誌やテレビ番組はなかったから、近所の本屋の店頭で、自分の直感で選ぶしかなかった。それで、真剣に、本当に目を皿のようにして文庫の棚を何度も何度も見詰めたものだった。
その時、眺めていたものと同じ本が、30年近く経ってもまだ置かれているというのは、感無量だ。それも、こんな小さな店で。売り場が小さければ小さいほど、売れ線の本を集中して置かなければならないので、こういった名作は置きにくい。この店でも売り場の目立つところにはスピリチュアル系とか、いまどきの売れ線が置かれている。だが、売り場の奥にそっとこうしたラインナップを揃えているのは、本屋の矜持というものだろう。それも、昔仕入れた本が残っちゃいましたという感じ(背が日に焼けているのでやる気のない本屋はすぐわかる)ではなく、ちゃんと棚に手を入れている。どれも新しい版のもので、なかには帯がついているものすらある。
嬉しくなって、ついディケンズとサキを購入しました。こういうお店は応援したい。近所にあるならなおさら。翻訳ものを買う時は、大型書店ではなく、このお店にまた来ようと思いました。


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